溜息をつきつつ、屋上のフェンス越しにグラウンドを俯瞰する。そこでは2‐Aの面々がマラソンを行っていた。

サボってる俺が言えることじゃないが、全国共通と思われる冬=マラソンの図式はいい加減どうにかならないのかね。

まあ、本当はそんなことはどうでもいいんだけど。

「あれが保持者の本当の力、か」

 グラウンドから目を離して視線を転じた先には、もちろん鳥井。

 一段高くなった場所に腰掛ける彼女は、自販機で購入したホットココアを口に運んでいた。

「そうね。効力も完全に使いこなしていたみたいだったし、今二人で会話できることは奇跡としか言いようがないわ。

それより、いつまでもそんなところにいたらバレるわよ。サボっていることが」

「……だな」

 鳥井の言うことは尤もだ。今見つかってはサボった意味がない。

 梯子を登り、鳥井のとなりに腰掛ける。鳥井も俺と同じように、制服で覆えない部分から白い包帯が覗いていた。

「それで? わざわざサボってまでしたい話って?」

「夢想具の効力のことだ。あの鍵ってヤツは効力を使ってた。鳥井ももちろん使えるんだろうし、そうなると夢想具が使えるってだけじゃ足手まといになる。だから俺に効力の使い方を教えてほしいと思ってさ」

「なるほど。けれど、それは無理ね。どういった種類の効力があるかは説明できるけれど、効力とその引き出し方は人それぞれ、それこそ千差万別よ。例えるなら、これからピアノを練習しようという人が、ヴァイオリンの巨匠に教えを乞うようなモノだわ。同じ音楽っていうジャンル内だからといって、ヴァイオリンの巨匠がピアノを同じレベルで弾けるわけじゃない。白河くんの言ってることはそういうことなの」

「やっぱりそうだよな……」

 ある程度予想はしていたけど、やっぱりか。自分でどうにかするしか方法はないらしい。

「じゃあ、せめてその効力の種類ってヤツを教えてくれ」

 それを知っているのと知らないのとでは、戦闘になったときに大きな違いが生じる。ただ夢想具を武器としてだけ見ていたのでは、明らかに後手に回ってしまう。

「そうね。あまり情報を与えすぎても、と思っていたけど、もう話してもいい頃合いかもしれないし、ちょうどいい機会かもしれないわね」

 そう言うと、一度立ち上がってコンクリートの屋上に飛び降りた。

「白河くんも降りてきて。そんな場所で夢想具を具現させるわけにいかないから」

「分かった」

 俺も鳥井と同じように2mほど下にある屋上に飛び降りる。

 俺と鳥井は、少し距離を置いて正面を向き合った。

「それじゃ、夢想具の効力についての説明を始めるわよ。まず、夢想具の効力の種類は4つあるの。それが効力である以上、その4つのカテゴリーから外れることはないから、この4つの大きなカテゴリーは忘れないように」

 右手の指を四本立てる鳥井。

 こうして鳥井の説明を聞く度に思うんだけど、実はコイツ、人に物を教えるのが好きなんだろうか? こういったときの鳥井は、普段よりイキイキしているように見える。

「一つ目は『自己強化型』。読んで字の如く、自分の何らかの能力を強化するタイプの効力ね。鍵の効力は恐らくコレに当てはまるわ。戦闘において搦め手とならない代わりに、真っ向勝負では他の追随を許さないわね。

 二つ目は『直接影響型』。これは夢想具、若しくはその効力を持つ夢想具の保持者が相手に触れることで発揮されるタイプの効力。もちろん触れられなければ効力は受けないけれど、受ければ戦闘においてかなりの劣勢立たされるモノが多くあるから気をつけて。

 三つ目は『効力具現型』。これに類する効力は、その全てが実態を持っているからすぐに分かると思う。例えば炎や水といったモノを具現して意のままに操ったり、生物を具現する者もいるわ。もしかすると、一人で戦う時は一番相手にしたくないタイプの効力はコレかもしれないわね。

 四つ目は『事象展開型』。これも読んで字の如くね。効力が特定の範囲内を囲んでしまう、と言えばいいのかしら。自分のルールで世界を上書きするタイプの効力よ。この効力の特徴は保持者と相手、両方に干渉することができることね。多人数同士の戦闘では、一番先に倒すべき相手になり得る効力よ。

 大まかな説明になったけど、理解できたかしら?」

「ああ。一応はな」

 4つの種類、『自己強化型』『直接影響型』『効力具現型』『事象展開型』。

 これを見極めないと、保持者同士の戦闘では優位に立てないだろう。もちろん最初から手の内を明かしてくるヤツはいないだろうから、まともに夢想具を使えないと、効力を見ることすら叶わないのだろうが……。

「ちなみに、鳥井の効力って何なんだ?」

 となれば、気になってくるのは必定だろう。俺の一番身近にいる保持者が持つ効力は何なのか? なんて。

「わたしの効力は――――」

 言いかけたところで、鳥井の言葉が止まる。

「ごめんなさい――――

 

 ブレザーのポケットから取り出した、振動し続けるケータイを開く。

 

       はい、鳥井です。……はい。…………はい、分かりました。それではすぐに? ……分かりました。……はい」

 ケータイを閉じた鳥井は、それを滑り込ませたポケットから別のモノを取り出していた。

 それはどこにでもありそうな、白いリボンだった。

 今日までよく目にしてきた、しかし校内では一度も目にしたことのないそのリボンが示す意味は……。

「鍵の居場所が分かったわ」

 投げられた言葉と同じく、開演の合図だった。

 

 

「こんな場所が……」

 神林さんに先導されて降りた階段の先に広がっていた光景に、俺は言葉もなく圧倒されることしかできなかった。階上よりも圧倒的に数が少なく、加えて少し薄暗く設定された照明が照らし出すのは、階段から真っ直ぐに伸びる廊下。その幅は10mといったところだろう。そして、そこから垂直に聳える両側の壁にはいくつもドアが備え付けられている。見慣れた横開きのドアだが、その内側に何があるかは分からない。恐らく、ずっと先まで外見も内側も同じようなドアがいくつもあるんだろう。さらに、踏みしめるリノリウムの床は、今居る場所と階上を同じ場所だと意識付けるという意味で、一番おぞましく映る。流れることもできずに澱んで死んだ空気は重く、そしてどこか甘く、鼻腔から侵入して脳を侵そうとしているかのよう。

 話を聞いたときは信じることなんて到底できなかった。

 しかし、実際ここにこんな空間が存在していることは紛れもない事実なのだ。そして、鍵がここにいるというのが本当なら、当然あの人も……。もしそれが本当なら、両親が死んでから俺たち兄妹を気に掛けてくれていたことさえ裏があるように思えてしまう。

けれどそんなこと、俺は信じないし信じたくない。

「けど、神林さん。ここが必ずしもそうだ、って決まったわけじゃないですよね?」

 震えた言葉は、驚くほど滑稽なものだった。

 自分でも無駄な抵抗をしているということは分かっていた。頭の中の冷静な部分は、自分の愚かな行動を嘲っていてもおかしくないとすら思える。

 

 信じたくない。

信じたくない。

信じたくない。

信じたくない。

 

けれど、現実には小説や漫画のような都合の良い裏切りなんて存在しなかった。

 

 神林さんが無言のままドアをスライドさせる。そこにあったのは、目を覆いたくなるような悲惨で凄惨で下劣で醜悪で低俗な光景だった。

 人間の脳と思しき物が、コンピューターと繋がったカプセルの、その中に満たされた薄く緑がかった液体の中に浸かっているのだ。いくつも、いくつも。1020ではない。それら全てに何本ものコードが繋がれ、そこから得られるデータをコンピューターが自動で観測していた。時折聞こえる静電気が弾けるような音は、脳に何らかの刺激でも与えているのだろうか。

 これはやっぱり――――

「ナイトメアウィルスの研究……」

 今これを見て、そこに繋がらないワケがない。それじゃ、本当に……。

「壊すワケにはいきませんよね、やっぱり……」

 鳥井の声はやるせなさに満ちていた。鳥井たちが活動しているのは、こういった実験を防ぐためでもある。こんな事、赦せることではないのだろう。

「そうですね、何かあっては困りますし。それに、上に影響がないとは限りませんから」

「はい……」

 もちろん、鳥井もそんなことは百も承知だったのだろう。苦しそうな表情が、それを雄弁に物語っていた。

「行きましょう」

 神林さんを先頭に、再び薄暗い廊下に出る。

 見える全てのドアの内で同じようなことが行われていると思うと、黒い感情が内に渦巻いていくのを止められなかった。

「二人とも、気持ちは分かりますが冷静になりましょう。冷静さを欠いていては的確な状況判断はできません」

 そんな俺たちの感情の動きを感じたのか、神林さんが声をかけてくれる。

 しかし、俺は口では「はい……」と答えたものの、冷静とは程遠かった。というより、感情の針は冷静とは真逆を指している。爆発してないのが不思議なくらいだった。

 十字路を左に曲がってさらに進もうとしたその時、背後から微かな物音が聞こえてきた。

「まったく……。嫌になるよなあ」

 誰かの話し声もする。今度ははっきり方向が分かった。これは階段のある方向からだ。

 神林さんは脇にあったドアを静かに開け、その中へ身体を滑り込ませる。続いて俺が、そして最後に鳥井が中に入ってドアを閉める。

何かの機械が林立するその部屋は死角も多く、身を隠すのに適していた。

 俺たちは入口から死角となる物陰に潜み、息を殺した。

「僕が様子を見てきます。逃げれるようなら合図しますから。けれど、最悪相手を無力化しなければならない事態も頭に置いておいてください」

 鳥井が首肯し、俺もやや遅れて首を縦に振った。

 俺たちの同意を得た神林さんはすぐさまドアに近づき、廊下の音を聞き取る仕草をした。数秒の後、近くには誰もいないと判断したのか、静かにドアを開く。

 神林さんからの合図は、すぐにはこなかった。ということは、まだ決定的なチャンスが訪れてないのだろう。

 緊張で暴れる心臓を右手で押さえつけ、深く息を吸って、ゆっくりと吐きだす。その瞬間、神林さんの左手が動いた。合図だ!

「行くわよ」

 鳥井が小声でそう告げて、ドアへと向かう。俺もその後を追った。

「行きますよ」

 最初に神林さんが一歩踏み出す。十字路から階段まではおよそ50mといったところ。上手く行けば見つからずにいけるかもしれない。俺たち三人は階段のある方へ全速力で駆け出した……が、すぐにその足を止めなければならなくなった。

「まさか、感染者!?

 両側のドアから次から次へと感染者が這い出てきたのだ。しかも前方だけではない。後方からも感染者が近づいてくる。そしてその中に一人だけ、明らかに感染者ではない者も交じっている。

「せっかく来たのに帰ることはねェだろォよ」

「鍵、義和!」

「あなただけではないでしょう。隠れてないで出てきたらどうです?」

 しかし神林さんだけは感染者の先頭に立つ鍵には目を向けず、何もない、ただの壁を睨んでいた。

「さすがに、そこの二人とは格が違うなあ、君は」

 鍵を含めた俺たち4人以外の人物の声が響く。それに合わせるように、何もなかったはずの場所から一人の人間の姿が浮かび上がった。見慣れた、白衣を纏った姿で。

「……おじさん」

 病院が関わっていると聞かされたときから何度となく浮かび上がっては、その度に目を逸らしてきた考え。それに対しての無慈悲な答えが、まるで俺を嘲笑するかの如く存在していた。

「どうしてなんですか!?

 ただでさえ決壊寸前だったのに、その中に投じられた石はあまりにも大きすぎた。

 信じたくなかった。母さんが死んでからこっち、ずっと俺たち兄妹を気に掛けてくれてきたおじさんがこんなことに手を染めているなんて。俺たちを実の子供のように可愛がってくれた。ヒマを見つけては家に顔を出してくれた。俺たちの生活費用の口座にお金を振り込んでくれていたことも、おじさんは笑って否定していたけど本当は知っていた。

「答えてください!!

 けれど、おじさんは俺の叫びには答えなかった。その代わりに――――

「残念だよ、彰くん。君には期待していたのに」

 俺を一瞥して、不愉快そうに吐き捨てた。まるで、モルモットを見ているかのような無感動な顔をしていた。

「夢想具を発現させる直前までは上手くいっていたというのに。よりにもよって……」

 そこで言葉を切って、短刀を構える。あれがおじさんの夢想具なんだろうか。

その姿を目の前にしては、もはや甘い幻想が付け入る間隙はどこにもなかった。事実は真実へと至り、既に確固たるカタチとなって。信頼が裏返って嫌悪となるのは時間の問題だった。

「失敗作には死んでもらおう」

「さあ、レッツパーティーだぜェ!」

 二人の言葉が重なった。それを合図に感染者がジリジリと近づいてくる。

 まずは感染者をどうにかしないといけない。この人たちだって被害者なんだ。できるだけ危害は加えたくない。

「仕方ありません、行きますよ。我が手によって罪を雪がんとす。【ロンギヌス・レプリカ】」

 最も早く決断を下したのは、やはりと言うべきか神林さんだった。俺の身長ほどもある得物を構えて、包囲の第一陣に向かっていく。確かにこの状況ではすぐに脱出することも、鍵やおじさんと直接相対することも叶わない。なら、出来るだけ危害を加えないように感染者を退けるしかない。

「………」

 精神を集中して、ココロのカタチを汲み上げる。右手に現れた剣を握りしめて、萎えていた気組みを立て直す。

「行くわよ」

 となりに立つ鳥井も、己の夢想具を具現させていた。

「ああ」

 二人同時に階段側を防いでいる感染者へと向かっていく。

 感染者を殺さないように峰打ちで、一人ずつ確実に無力化していく。鳥井は大鎌の柄の部分と体術を器用に使い分けて感染者を退けていた。

 考えて行動することができない感染者は、ただただ向かってくるだけだ。いくら殺さずとはいえ、ただ進んでくることしかできないヤツを相手できないほど、俺も無力ではなかった。少しずつではあるが、確実に階段へと近づいている。

 鳥井は、無力化した感染者の位置まで把握して戦闘を有利に運んでいるし、神林さんに至っては既に俺たちからは見えない位置にいた。

 

 そうやって幾人の感染者を退けてきただろうか。ようやく階段まで後数mというところまで来れた。前方に殆ど感染者が残っていないことを確認して、一度後ろを振り返る。鍵やおじさんは動かないつもりなんだろうか? それはそれで好都合だけど、気味が悪い――――

「白河くん! 避けて!」

 そう考えていた刹那、鳥井の声が耳朶を叩いた。それを聞いて反射的にしゃがみこむ。

 その頭上を何かが掠めていった。

「命拾いしたなァ、白河クン」

「な!?

 その声に驚いて反射的に顔を上げた先には、ニヤついた鍵の顔があった。

 ついさっき確認したときには、俺と階段の間には感染者の姿しかなかったはずなのに、なんで鍵がここに!? いくら鍵の身体能力が獣染みているといっても、あれだけ犇めいていた感染者を避けて追いつくなんて、いくら何でも有り得ないだろ……。

「離れなさい!」

 鳥井が大鎌を鍵目掛けて薙ぐ。

 神速を誇る鍵を捉えることはできなかったが、そのおかげで俺と鍵の間の距離はかなり開いていた。

「これがあなたの夢想具の効力ですか。村木慎太郎」

「そうだ。これが私の夢想具【邪器・禍津日神】の効力」

 言葉には余裕が溢れていた。自分たちが負けるはずはないという絶対の自信を持っているのかもしれない。もしくは別のファクターでもあるのだろうか?

「『自己強化型』と『事象展開型』の組み合わせですか。何とも嫌な取り合わせです」

 鍵は『自己強化型』だろうから、『事象展開型』はおじさんか。

「神林さん。村木の効力の目星がついたんですか?」

「ええ。恐らく、一定領域内における物質の入れ替え、といったところでしょう。出てきた位置から考えて、効力が及ぶ範囲は半径50mくらいだと思います。それ以外の条件が有るとすれば、それはまだ分かりかねますが……」

「ほほう。優秀だね、たった一度目にしただけでそこまで見抜くとは。是非ウチに欲しい人材だ」

 それを簡単に肯定するおじさん。そこまでは見破られても予定通りなのかもしれない。表情から余裕が消えないことが、俺に疑心を抱かせた。

「鳥井くんと白河くんは村木を。鍵の相手は僕がします」

「はい」

 3対2なら、俺が未熟な分神林さんや鳥井に迷惑をかけてしまう可能性が高い以上、2対1と1対1にするしかない。そして、鍵は戦闘面では明らかにおじさんより上だろう。実際俺と鳥井の二人で引き分けることがやっとだった。そうなると神林さんが鍵の相手をするしか選択肢は残されていない。さらに、俺と鳥井ペアでの戦闘は今まで何度かあったことだ。呼吸が分かっていれば、足を引っ張るようなミスは少なくなる。

 そういった諸々を考えればこれ以外の選択肢は有り得るはずもなく、しかし今できる最善であることは間違いなかった。

 

「で、私の相手は君たちか」

 既に開始された神林さんと鍵の戦闘を意識から切り離して、おじさんに向けて夢想具を構える。切っ先が少し震えていた。

(いい加減覚悟を決めろ!)

 自分を叱咤して、力を込めて床を蹴る。それに合わせて鳥井が床を蹴った音も耳に届いた。俺は右から、鳥井は左から、異なる軌道の二筋の斬撃がおじさんを挟み込む。

 だが、

「甘いね」

「げほ……っ」

 おじさんは短刀で鳥井の斬撃を受け止め、俺に右足の後ろ回し蹴りを見舞ってきた。無防備だった脇腹への重い一撃に、俺は膝を折らざるをえなかった。

「戦いは得手ではないが、君たちに後れを取るほど弱くはないよ」

 拮抗していた力点をズラして大鎌を払い、そのせいで体勢を崩された鳥井の頭部目掛けて右足が繰り出される。

「くっ!」

 鳥井は咄嗟に柄で受けるが、無理な体勢で受けたせいで転倒は免れそうになかった。しかし、その勢いを利用して後転の要領で一回転して立ち上がり、すぐさま大鎌を再び現出して構えなおす。

 その間に俺も立ち上がって、剣を正眼に構える。

 鍵ほどじゃないけど、やっぱり強い。俺が未熟だとはいえ、仮にも2対1なのに引けを取ってない。

「やはり期待外れか。効力を引き出せないどころか、夢想具を御し切れてすらいない」

 おじさんは俺に向けてそう言い放った。

 期待外れ。

 あれだけ欺いておいて、俺に何を期待していたと言うのだろう。普通に学生として過ごして、おじさんの行っている非道を知らずに、白痴のように騙され続けておけばよかったのにとでも言うのだろうか。それとも、お前もここにいる感染者のようにモルモットになれとでも?

「人を莫迦にするのも大概にしろ!」

「ふむ。いい具合に澱んだ感情だな。まったくの期待外れかと思ったが、案外そうでもないのかもしれないな。なら、一ついい話を聞かせてやろう」

 いい話だって? こんな下劣な行いを平気でできる人間の話なんて、もう一言たりとも聞きたくなんてない。その口、無理やりにでも閉ざしてやる!

 両足に力を込めるが、それがすぐに解き放たれることはなかった。聞くつもりがなかった俺をその場に縫いとめるほど、次に語られたおじさんの言葉は予測の範疇を大きく超えたものだった。

「彰くん。君の両親を殺したのは私だ」

「…………え?」

 自分の喉から出た声だと思えないほど、平坦で間の抜けた声だった。

「君の両親が私のビジネスの邪魔になったのでね。悪いが片付けさせてもらったよ。事後承諾になったが、それはまあ許してくれ」

 なん……だって? 今何を言ったんだコイツは?

 父さんと母さんを殺した? 自分の邪魔になるから?

 それなのに俺たち兄妹の面倒を見ていたのか? 母さんの葬儀の時も素知らぬ顔で参列して、裏では俺たちを嘲笑ってたのか!

 全部全部、お前のせいだったのか!!

「………………それは、面白かったのかよ?」

「ああ、愉快だったとも! 私を莫迦にしていたヤツらをこの手で葬って、その子供を私好みに育てる愉悦! この至上の愉悦、君には分かるまい。あの肉を切り裂いた時の得も言われぬ興奮。高揚! 最上級の牛肉にナイフを滑り込ませるよりもよほど充足していたよ! もっとも、後者は道半ばで失敗に終わってしまったがね。それもまた一興だ!」

 母さんたちを殺しておいて、何をのうのうと!

 こんなヤツに生きている資格なんてない! 世界中の誰が許しても俺が赦さない! 今ここで、そのどす黒く穢れた一生を終わらせてやる!

 黒い感情が急激に高まっていくのを感じていた。あの美咲が死ぬビジョンを見せられたときと同じくらいまで感情が昂る。

「ダメ! 白河くん抑えて!」

 鳥井が何か言っているが、理解するには至らない。ただ目の前に立つ男を睨みつける。

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!

「うあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!

 脳の芯が沸騰したように熱く白くなっていく。

 これまで感じたことがない極大の殺意が全身を支配していく。

「お前だけは! お前だけは俺が殺してやるッ!!

 地下全体を揺るがすような怒号を発したのが自分だとすら気づけないほど、頭の中は殺意一色に染まっていた。

 極大の殺意がカタチを成していく。

「そんな……!!

「やはり!」

「やるじゃねェか劣等もよォ!」

 地を蹴って、村木に向かって一直線に駆ける。左右から迫る木偶には目もくれず、ただ憎い仇だけを視界に捉えて疾駆する。

「死ね――――――――ッ!!

 怨嗟を言葉にして、殺意を乗せた左手を振り下ろす。

 しかし、それは村木に届きはしなかった。

「どいてください!」

 神林さんが俺の斬撃を寸でのところで受け止めたのだ。

「コイツが父さんと母さんを殺したんだ!! 俺が同じ目に合わせてやる!!

「いけません。そんなことをして何になるというのです。殺せば両親が戻ってくるのですか? 仇を討てば美咲さんが喜びますか!?

 分かってる。

 死人が生き返らないのなんて当たり前。血で汚れた俺を美咲が喜ばないのも当たり前。けれど、だから赦せっていうのか? たとえ殺人者のものであろうと命は尊いとでもいうのだろうか?

そんなことが罷り通るわけはない。命は尊い。ああ、それは確かにそうだろうさ。けれど、命の重さに軽重はないと誰が決めた? 俺にとってその3人の命は、そこらの他人を10人や100人殺したって釣り合わないモノなんだ!! こんなときにまで正論を持ち出して、それを大事にしろって言うのかよ!!

「そんなこと、言われなくても理解ってる!! それでも、コイツだけは赦すわけにはいかないんだ!! そこをどけ――――――――――ッ!!

「どきません! 白河くん、君は全ての鍵なのです。その君に、こんなところで自分に負けられるわけには…………っ!!

 俺を抑える神林さんは、相手から見れば絶好の獲物に他ならない。コイツらがそれを逃すワケがなかった。

「白河くん……。君は全てを知らなければなりません。ナイトメアウィルスと、それに関わる……全てのこと、について……その資格を持つのは、君……だけなんです。ですから、ここは退いてください……」

 吐血しつつも、俺たちに語りかけ続ける。

「鳥井くん。君も白河くんと、共に行きなさい……。悪夢に……縋るのではなく、自分の目で真実を……。……。…………全ての鍵は……」

 血で染まった白衣のポケットから、何かを取り出し、鳥井に預ける。

「頼み……ましたよ」

「コイツ……!」

 神林さんは精一杯の本当の笑顔を見せると、自分の身体に突き立った二種類の夢想具を抱えこんだ。そのせいで、二人は身動きがとれなくなる。

「…………行くわよ」

 それを確認して、鳥井が決断を下した。全員が死ぬかもしれない方ではなく、一人の犠牲で二人が確実に助かる方を選んだのだ。

「鳥井、お前……!」

 神林さんの決死の説得で焼きついた脳が機能を回復していた俺は、それに即座に従うことはできなかった。神林さんが今こんな目に遭ってるのは俺のせいだ。それをそのままにして、自分だけ逃げるわけにはいかない。

「このまま――――」

 俺の言葉は、鳥井の平手によって遮られた。そして、俺はその続きを口にする事ができなかった。

鳥井の双眸に光るものを見てしまったから。

奥歯をグッと噛み締める。

 ……そうだ。この決断が辛いのは俺だけじゃない。付き合いが長いのは鳥井のほうなんだ。苦しくないわけがない。

「行きます……」

「ああ。僕も……自分の使命を全うしよう」

 階段を全速力で駆け上がる。

 振り返らずに走り出た病院の外は、既に帳が落ちた後だった。





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