残る最後の一体を切り裂いた右腕には、まだ慣れることのない嫌な感触が残っている。

 血が飛び散らないだけマシなのかもしれないが、やはり気持ちのいいものじゃない。

「……ふぅ」

 それまで維持していた緊張を解くと同時に、右手に握りしめていた夢想具も、闇に溶け

るように消え去る。

「少しはマシになってきたけれど、一人で複数の使徒と戦うのは、余裕とは言い難いわね」

 戦闘中はいつも束ねている髪を解きながら、鳥井は先程の俺の戦闘をそう評した。

「やっぱりそうか」

 自分でも分かっていたことだった。技術がないのは当然だが、問題はそれとは別のとこ

ろにあった。

 人の姿を模している使徒を手にかけることに身体が拒否反応を示すのだ。頭では人間で

ないことを理解しているのだが、どうしても描く軌跡が鈍ってしまう。それは一般人とし

て当然のことなのだが、今俺が身を置いている状況では命取りになりかねない。

「仕方のないことではあるけど、使徒相手に剣筋が鈍るようじゃ戦闘は無理ね」

「………」

 仕方ない、か。

 確かに人の姿をしたモノを切るなんて、一朝一夕に慣れるものじゃない。けど、慣れな

いことには話にならなかった。最初に夢想具を手にしてからまだ三日しかたっていないと

言ったって、そんなことは言い訳にもならない。

 意識を集中させて、もう一度自分の奥底からイメージを汲み上げる。

そうして右手に現れた俺の夢想具である白い剣。それをじっと見つめる。

「つっ……」

 疲れのせいか、頭が鈍く痛んだ。

「大丈夫?」

「ああ。ちょっと疲れが溜まってるだけだと思う」

 夢想具を戻して、手ぶらの状態になる。

「塾もバイトも、落ち着くまでは休ませてもらうしかないかもな」

 もしくは辞めてしまうのも一つの手か。今の俺と一緒にいて、迷惑をかける結果にならないとも限らない。

「ええ。そうしたほうがいいかもしれないわね」

 鳥井も俺の意見に同意してくれた。ここ最近はずっと睡眠時間を削ってたし、この前の入院だって、案外それが原因だったのかもしれない。

 このままずるずると無理を続けるよりはいいか。明日はちょうどバイトがあるし、あがったら店長に相談しよう。

 

 

 閉店後のモーントリヒトの店内。店長以外のスタッフが店を出たことを確認してから、俺は『STAFF ONLY』という金属プレートが付けられたドアをノックした。

「開いてるから勝手に入ってきてくれ」

 一日働いたというのに、まったく疲労を感じさせない声が応える。

 店長の身体構造は一体どうなってるのか、一度実験してみても面白いかもしれない。

「失礼します」

 休憩用のソファーと机。窓の側には店長のデスク。マニュアルや書類用の本棚。それに奥のドアはロッカールームに繋がっている。

 そんな見慣れた部屋の中に、店長はいた。机の上に何かの書類の束が載っているし、どうやら残業中だったらしい。

 俺は音が響かないように注意しながら、後ろ手にドアを閉めた。

「店長。話があるんですが」

「どうした、めずらしくマジメな顔して。彼女にでもフラれたか? それとも俺の秘蔵のコレクションを拝借しにきたのか?」

 まったく、店長はこれだから……

……マジメな顔って分かってるなら茶化さないでほしい。

「バイトの件なんですけど、急な話で申し訳ないんですが辞めさせてもらいたいんです」

 俺はそう切り出した。

 休ませてもらうことも考えたのだが、どれくらいの期間になるか分からないのでは店に迷惑がかかるかもしれないと考え、俺は結局辞めることを選択した。そして、既に塾には学校帰りにその旨を伝えてきていた。

「ふむ? また一体どうしてだ? 今日も普通に作業してるように見えたし、職場イジメというわけでもないんだろ?」

 俺の急な申し出を受けても態度が変わらないのは、店長らしい。けど、狼狽されたり困惑されたりしたらこっちが困るので、有難かった。

「もう来年受験ですし、そろそろ勉強に専念しようと思って」

 予め用意しておいた答えを口にする。

 卑怯だとは思うが、本当のことを言えない以上仕方がないことだった。

「ここでのバイトは気に入ってますけど、いつまでも二足の草鞋というわけにもいきませんから」

「………」

 店長は俺の顔を正面からじっと見ている。その瞳が何かを訴えかけるように見えるのは、俺の後ろめたさがそう見せているのだろうか。

 

 …………………………

 

 店長が次に口を開くまで、とてつもなく長い沈黙があったかに思えたが、実際は10秒ほどだったんじゃないだろうか。

「…………環ちゃんはどう思う?」

「環……ですか? それは関係ないんじゃ――――」

「そういう意味じゃない。俺は環ちゃんの意見を聞いているんだ」

 俺の言葉を遮った言葉に、今ここにいるはずのない名前が含まれていた。

 反射的に後ろを振り返る。そこには、先に帰ったはずの環がドアノブを握りしめたまま呆然としていた。

「……センパイ。今の話、ホントですか?」

 いつもの環らしくない、負の感情が彩った声。普段は忙しなく動いている大きめの目は見開かれ、涙が滲んでいた。

 

 ドアノブを放して、室内に入ってくる。その足取りはどこか頼りなさげで、俯き加減のらしくなさが見ていて哀しかった。

 気まずかった。

 本当なら店長にだけ話して、それでモーントリヒトでの一切は終わるはずだった。

「ほんとう、ですか?」

 けれど、一番聞かれたくなかった環に聞かれてしまった。

「……ああ」

「受験だから、じゃないですよね……。センパイは環と違って成績いいですもん。本当のコト言ってください……」

 俺はその問に答えられなかった。

……答えるわけにはいかなかった。

「………」

「………」

 それ以降、互いに言いたいことはあるのに、それがオトにならない。

 ただ、迷惑だけはかけたくなかった。

 俺が弱さに負けて話してしまえば、二人にも迷惑がかかる。それだけは絶対に避けたかった。いや、避けないといけなかった。

「……分かった」

 息苦しい沈黙を破ったのは店長だった。

 腕組みをして、深く息を吐き出す。

「店長……。分かったって、センパイ引き留めないんですか!?

「ああ。バイトのせいで大学受験に落ちてもらっちゃ困るからな。……ただし、受かったら戻ってこい。それまでは休み扱いにしておいてやる。ここには白河彰が必要だからな。だいたいお前がいなくなったら誰が俺を止めるんだ?」

「……店長」

「よかったです……。センパイ、必ず戻ってきてくださいね」

 素直に嬉しかった。

 俺の居場所があると言ってくれたことが、本当に嬉しかった。環も、我が事のように嬉しそうにし、涙を流してくれていた。

モーントリヒト(ここ)はあたたかい場所だ。ひだまりのようにあたたかで、そして優しい場所。

 俺はここでバイトさせてもらっていることに、今更ながら感謝の念を抱かずにはいられなかった。

 

 

「何か嬉しいことでもあったの?」

 モーントリヒトから出てきた俺に声をかけてきたのは鳥井だった。俺がバイトを辞めると言ったことで心配して来てくれたのだろうか?

ま、気にするほどのことじゃないか。

「ココをバイト先に選んでよかったなと思ってさ」

 一度だけ店舗を振り返り、その後、先の会話をかいつまんで鳥井に話した。

「いい人たちなのね。わたしも一度くらいは来てみればよかったかしら」

「全部片付いたら、みんなで一緒に来ようぜ」

「そうね。それじゃ、行きましょう」

 俺たちはそのまま夜の街へ向かって歩き出した。

 学院での事件の後、再び警邏することになったのだ。けれど、今回の警邏の目的は感染者の発見ではなく、一般人に被害が及ぶ可能性を少なくするためだ。

 本音を言えば神林さんが受け持ってくれている昼の警邏にも参加したいのだが、学生の俺たちが連日欠席して街をうろつくわけにもいかず、俺たちは夜の警邏だけ参加している。昼間の警邏のために足りない人員は、組織の人に手伝ってもらっているらしい。その人たちは後方支援のスペシャリストだし、俺なんかより遥かに場慣れしているが、夢想具が使えない以上戦闘には期待できない。そのことに俺は不安を感じていた。そして、こういったときの直感は大抵当たるのである。

 

 

「探しものはコレかよ?」

 目の前に無造作に放られたソレには、まだ熱の名残があった。

 人工の光に照らされたソレは、まるでトラやライオンといった大型の肉食獣に喰われたような死体だった。

「あり……えない」

 有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない。その光景を目の当たりにしているというのに、脳が全力で理解することを拒否している。

 俺は茫然自失だった。鳥井も、俺と程度の差こそあれ同じだった。

 それも尤も。その惨殺(しょくじ)は、俺たちの目の前で行われたのだから。

 

『殺された?』

 その話が俺たちに伝えられたのは、放課後になってからだった。

 増員された組織の人が死体で見つかったというのだ。

『はい。それで、しばらくの間は決して一人で行動しないようにしてください』

『新しい感染者、ですか?』

『いえ。それがどうもはっきりしないんですよ。詳しいことが分かりしだい追って伝えますので、決して単独行動だけはしないようにしてください』

 神林さんらしくない、歯切れの悪い返答だった。

 

それもそのはずだろう。

 その犯人の殺害方法は常軌を逸していた。

「あんまりウマくねェな〜。スリル(スパイス)が効いてないぜ」

 さも不服そうに獣が唸る。弱(マズ)いと。この人間(ニク)は不味いと。

「で? テメェらはどうなんだよ?」

 筋張った肉を吐き捨て、獣は次の獲物を視界に入れる。

 その眼が放つ狂気を受けたせいで足が震えだすのを抑えることすらできない。強大な獣に狙われては、弱い獲物は逃げることすらままならない。

「――あなたは何者なの?」

 いつの間にか平静を取り戻していた鳥井が、夢想具を具現化させて問いかける。

「ハッ! テメェ所持者(ホルダー)なんか! オモシレェなァ、オイ! オモシロすぎんぜ! クソつまんねェ任務(モン)に回されたと思ったが、とんだサプライズだ! あは、あはははは、あはははははははははははははははは――ッ!」

 ただでさえ歪んでいた表情が、爆発的な哄笑によってさらに歪む。およそまともな神経をした人間が発せるとは思えない躁狂的な笑い声が辺りに谺する。

「あははは、かは、くははははははは、あはははははははははははははははは――ッ! オモシレェなァッ!!

 見開かれた両眼に灯るのは圧倒的な悦び。

物理的な衝撃を伴うと錯覚させるほどの狂気が全身に叩きつけられる。

「オレは鍵義和(かぎ よしかず)。組織内じゃあ『暴食(グラ)』で通ってる。テメェらも名乗ってけよ! まさか、腑抜けのテメェらは戦の作法も知らねぇのか?」

 けれど、いつまでも呑まれているワケにはいかない。

「わざわざ自分の情報を敵に与えると思う?」

 知りたいなら自分で聞き出せと鳥井は言った。

「作法なんて知るわけないだろ」

 誰がオマエの好みに合わせるかよ。

「はっはははははは! 違いねェ! オイ、テメェら。簡単に死んでくれんじゃねェぞ!」

 そうして、戦いが始まった。

 

「ヒャーッハァ! いくぜェ、【フェンリルの爪牙】!」

 鍵義和(グラ)と名乗った相手の夢想具は、その名前通り爪と牙だろう。リーチだけなら俺たちに分がある。

しかし、獣じみた身体能力を持つヤツに、リーチの優位なんてあってないも同然だった。

「遅すぎんぜオマエらァ!」

 グラの姿がブレる。それは至極当然のこと。人間の限界速度を超える者を、人間の限界速度という定規で計っていては、到底視界に捉えることは叶わない。地面を蹴るたびに爆発的な音がする。ヤツが動くたびに風すらも寸断される。それほどの速度。

 鳥井も使徒相手のときのような余裕は微塵もない。

「まずは……テメェからだァ! この劣等野郎!!

「く……っ!」

 左側面からの爪の剛撃を、具現化した剣の背でなんとか受け止める。予想以上に重い衝撃に、剣を取り落としそうになった。

「へぇ。劣等かと思いきや、テメェも所持者かよ! だがよ、そっちの女と比べて弱すぎんだろオマエ」

 心底以外そうに、けれど心底感心するように。いやいや、真実(ほんとう)はそのどちらでもない。

ただ……

――――巫山戯るなと。お前のような者が夢想具を具現させるなど、自分たちに対する最大級の愚弄以外の何物でもないのだと、そいつの気配が雄弁に語っていた。

 数瞬前に俺に一撃を放ったとは思えないほど遠く離れた場所に立つグラ。先程のやり取りだけで、俺の実力がこの恐怖劇(グランギニョル)の出演者として相応しくないことを見抜かれた。

「テメェの夢想具に振り回されてるヤツなんてお呼びじゃねェんだよ。待っててやっからすぐに消えろや。せっかくノってきたのによォ、萎えさせんじゃねェよテメェ!!

 獣が吠える。きつく歯を食いしばっていなければ、その視線だけで意識が飛びそうだ。

「逃げるかよ。俺は逃げないぞ、絶対に!」

 身体の正面で、剣を握りなおす。

 このままのコイツを放置してしまっては、コイツは町の人たちにとって必ず害になる。殺して殺して殺して殺して、殺し尽くして殺し尽くす。完膚なきまでに鏖す。清々しいまでの大虐殺(ホロコースト)それこそ、御歳市を地図から消すことだってやってのけるかもしれない。それは唾棄すべき俺の予想でしかないが、そうあることが定められた結末(ミライ)であり在り方(ミライ)であると、嫌と言うほど鮮明にその像(こうけい)が視界に浮かぶ。

(それこそ巫山戯るんじゃねぇ!)

美咲たちはここで何も知らずに暮らしているんだ。その無知(にちじょう)に、お前たちのようなジャンル違いがのうのうと現れることなんて認められるはずがないだろ!

「そして、貴方も逃がさない。ここで死んでもらうわ」

 鳥井も大鎌を構えなおす。

「はは、ははは、あはははははははははははは――ッ! くふふ、かはははははははははははははははは――ッ!」

 再び爆発する哄笑。

 その笑い声とともに、空を切って獣が迫る。

「いいぜ。いいぜオマエらァ! 切り裂いて、噛み砕いて、引き毟って、その肉残らず喰ってやらァ!」

 馬鹿正直に直進してくるグラに向かって、鳥井が大鎌を振り下ろす。獣はまるで頓着しない。

 それなのに、金属同士がぶつかりあうとき特有の甲高い音を響かせて、爪と鎌が激突する。鳥井の攻撃は鍵には届かなかった。あの距離から防御行動をとって間に合わせるなんて人間業じゃない。そして、瞬時に掻き消えていた。

「ボーッとしてる余裕なんてあんのかよ?」

 その声は頭上から降ってきた。いつの間にと思うヒマもなく、俺は地面に叩きつけられていた。頭蓋の中を撹拌される。痛みよりも気持ち悪さが先に立った。

「白河くん! きゃっ!!

 俺に声をかけた一瞬を鍵が見逃すはずもなく、鳥井も同じように地面に転がされる。

「保持者のくせにその程度かよ。マジでテンション下がるわ」

 苛立ちを含んだ声。その苛立ちがそうさせたのか、背中を踏みつけている足に力が込められる。

「あ――、ぐっ!」

 息ができず、視界が明滅する。そのせいで真っ白になりかけていた頭に、追い打ちをかけるように信じられない言葉が滑り込んできた。

「そうだ。確か、テメェには妹がいたよなァ? ソイツでも喰われればマジになるかよ?」

 なん……だと?

コイツハイマナニヲイッタ?

「そうだぜ。そうしよう! テメェがマジになんねェんなら、妹、喰っちまうぞ」

 その瞬間、頭が真っ白になった。

 

 

「ダ……メ。しらかわ、くん」

 わたしの声は弱々しく、白河くんには届かなかった。いや、しっかり声を出せていたとしても、今の彼には届かないだろう。

 美咲を喰うと言われた瞬間、彼の夢想具が暴走したのだ。白河くんが夢想具を完全に制御できていればそんなことは起こらなかったかもしれないけど、まだ具現することに成功してから一週間もたっていない。そこに美咲を喰うと言われては、とてもじゃないが自分で抑え込むことは不可能だろう。

「いいぜ。いいぜェこの殺気。ああ、ソソるぜェ、喰いてェ、たまんねェ!」

 鍵の言うとおり、白河くんは今まで見せたことのない殺気を放っていた。より正確に言うなら夢想具が放たせているのだけど、そんなことはどうでもいいことだった。

「さァ、いくぜェ!」

 今までよりもさらに速く鍵が走る。それは常人では目に留まらないどころか目に映らないほどの速度。そしてその速度から繰り出される、力学をまるで無視した全方位からの同時多角攻撃。

 鍵にとってそれは、必殺とさえ呼べる攻撃だっただろう。わたしの目から見てもそうだった。残像しか捉えられないのだから当然だ。

 それなのに、白河くんは避けている。避け続けている。有り得ない。到底有り得ることじゃない。それなのに、目の前に有り得ているのはどういうことなの!?

 神速と言っていい鍵の速度を上回る彼の動きは、絶速とでも言えばいいのだろうか? 表現のしようがないとはまさにこのことだった。

 あまつさえ、回避行動の合間に鍵を攻撃している。その太刀筋は見えないけど、鍵の身体に走る赤線がその証拠だった。

「クソがァ!!

 そう吐き捨てた鍵は、一息で民家の屋根の上まで跳躍した。あれほどの速度を誇るのだから、彼のプライドはズタズタになっているんじゃないかと思う。つい先程まで劣等呼ばわりしていた相手が自分を追い詰めているのだから。

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

 しかし追い詰めている側の白河くんも、本人が気付いていないだけで追い詰められていた。夢想具が暴走しているということは、今の白河くんはただ単一の命令(コマンド)をこなす機械と同じ。その状態が長時間続けば、自我が破壊されて戻ってこれなくなってしまう。

(それだけは、止めないと……)

 彼を護ると言ったのはわたし。その責任は果たさないといけないから。

「くっ……」

 手をついて上半身を持ち上げる。幸い痛みがあるだけで、深刻な事態にはなっていない。なんとか、動けそうね。

「バカにしやがってェ――――――――――ッ!!

 獣が咆哮する。屋根を蹴り砕いて、白河くんに向かって突進する。それは鍵の最後の攻撃。もう余力は残っていない。

(マズい。間に合わない!?

 今の白河くんなら、容赦なく相手の命を鬻ぐ。それだけはダメ!

 まだ痛みで痺れているけれど、一切無視して白河くんのもとに駆け出した。

(お願いだから間に合って!)

 そして、向かってくる鍵に対して白河くんが剣を高く振り上げて……

 

 

「ダメ――――――――――ッ!!

 その声とともに、何かが俺の身体を引っ張った。まるで予想もしていなかった方向からの力に身体が耐えられず、引っ張られた方へ身体が傾ぐ。

「痛っ!」

 その衝撃のおかげで、俺は手放していた自分の身体の手綱を取り戻していた。

「大丈夫?」

 俺の身体の下から、恐らく俺を引っ張り戻してくれたであろう人物の声が聞こえる。

「と……りい? 俺は、何を?」

 問いかけはしたが、自分でも分かっていた。美咲を喰うと言われた瞬間に、何か途轍もない力に身体を奪われたことを。そして、テレビを通したような感覚でだったが、自分が何をしたかも分かっていた。

「………」

「莫迦だな。俺は……」

「そんなことないわ。人間なんだから仕方ないこともあると思う」

 そう言ってくれた鳥井は、俺の手を胸に抱いたまま心底安堵していた。

 けど、まだ終わってない。しかし鍵も余力がないのだろう、アスファルトに片膝をついて、ようやく体勢を保っている感じだ。

「いくぞ」

「ええ」

 体力は限界寸前だったが、鍵だけはどうにかしないといけない。その一念だけで、重い身体を引きずって、何とか鍵の前まで行くことができた。

「オレの負けかよ……。こればかっりは仕方ねェなァ。余裕ブッコいた俺のミスだし。さ、勝者の責任だ。殺してけよ」

 未だに肩で息をしている鍵は、それを受け入れているようだった。

「殺すかよ。そんなことしたらオマエらと一緒になっちまうだろ。俺は、そんなことはしない。絶対に」

 それは俺の偽らざる思いだった。この選択が甘いことは分かってる。戦いはそんな綺麗事だけで済まないことも分かってる。けれど、俺はこの選択を曲げる気はなかった。俺が戦うと決めたのは日常を護るため。だからそんな行為に手を染めるわけにはいかないし、鳥井にもさせるわけにはいかない。

「甘ェなァ。そんなことでこれから戦っていけんのかよ。敵なんて殺してナンボだろうが!」

「それでも曲げないで戦うさ。俺は、オマエらとは違う」

「違う、ねェ。ははははは、くふふ、かはははははははははははははははは! こいつはケッサクだ。オレとオマエが違うって? そうか。そうだよなァ! 違うよなァ! 気に入ったぜオマエ! 次は最初から全力で相手してやる!」

「次なんてあると思う?」

 不敵に笑う鍵を、鳥井が睨付ける。

「貴方たちのこと、洗いざらい話してもらうから」

「オレとしてはそうしてやってもいいんだけどよォ、どうもそれは無理みたいだなァ。迎えが来たもんでよ」

「迎え?」

 訝る俺と鳥井。それらしきものは何処にも見えない。苦し紛れの嘘なんだろうか?

「じゃあな」

「――――え?」

 その声は傍らに佇む民家の屋根の上から聞こえてきた。

「いつの間に!?

 目を離したのはほんの一瞬だったはずなのに……。もちろん迎えなんて来た様子は微塵もないし、鍵自身が動いた気配もなかった。

「次会うときまでには、テメェの夢想具の力くらい引き出せるようになってろよ。今度はお遊びなしのマジだからなァ!」

 そう言うと鍵は、夜の空を駆けて行った。





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