御歳市で今一番人気の洋菓子店である『メープルハウス』。

 俺たちはその一角を制服姿のまま占めていた。

 今日は定期テストの結果が各自に渡される日であり、決着の日でもある。

「レディース&ジェントルメーン!! さあ、今日の大一番がやってまいりました! 負けた人が今日のこのメープルハウスの代金を全額出すという鬼畜極まりない罰ゲームを科されるこのテスト結果勝負。司会はボクこと宮代葵と、解説はご存じこの人、神谷聡でお送りしていきますよ〜」

司会進行を務めるのは当然葵先輩であった。どこから調達してきたのか、マイクまで持ってノリノリである。

「メインイベントのしーたんVSさとっちゃんの二人は最後までとっておくとして、誰からいくのかな〜?」

 一同を見回す葵先輩。

「はい。わたしからいきます!」

 その中で手を挙げたのは美咲だった。

「おおっと! 我等が誇る最高の頭脳! 白河美咲嬢がトップバッターに名乗りを上げました! これをどう見ますか、解説の神谷さん?」

「んん〜。そうですね〜。恐らく自分が最初に出ることで、他のみんなの戦意喪失を狙ってるんちゃうかと思いますね〜」

「なるほどなるほど。学院最高峰の頭脳でボクたち凡夫を黙らせようと、そういう作戦ですか。みっきーってばあくどいね〜」

「……先輩たち、ノリノリですね」

 呆れたような笑顔を浮かべつつ、四つ折りにされた成績表を葵先輩に手渡す。

「それでは、みっきーの点数発表〜!! パフパフ〜ドンドンドン…………って、みんなノリ悪いな〜。もっとノってかないとダメじゃんね〜。ま、一人目だししょうがないか」

 そういう問題じゃないでしょう先輩。周囲の目というものを少しは気にしましょうよ。タダでさえメンバーがメンバーなんですから……。

「改めまして! みっきーの点数発表〜!! 現国100点! 数T100点! リーダー100点! 世界史100点! 合計500!! …………500!? それどころか全教科全科目3ケタじゃない!!

「今月はちょっとお小遣いキビシイので、本気だしちゃいました」

 自分でもできすぎだと思っているのか、少しはにかむ美咲。

「…………白河美咲。恐ろしい子……」

「……すごいわね」

 唯一美咲の頭の良さを知らなかった鳥井が、信じられないといった顔をしている。

 実際、我が妹ながら末恐ろしいヤツだ。元から一番ない目だとは思っていたが、これで美咲の負けは完全に無くなった。

 それにしても全教科全科目満点って、もはや優秀や秀才ってレベルを完全に通り越してるとしか思えない。天才と謳われていた神津探偵なんかもこんなレベルだったのだろうか。まさに『美咲の前に美咲なく、美咲の後に美咲なし』だ。

 そんなことを考えている間に、場は次のバッターを求めていた。

「さあ、次は誰が名乗りを上げるのか〜! さすがに美咲嬢の後では手が重くなるか〜?」

「俺がいこう」

 次は悠夜先輩が成績表を差し出した。

「これまた全国クラスの登場だ〜!! そんなに後に待つ者に更なる絶望を与えたいのかこのドSめ〜」

「人聞きの悪いことを言うな」

「え〜。事実じゃない。現にこの前の――――」

「あれはお前が仕組んだんだろう!」

 悠夜先輩が珍しく慌てた様子を見せる。一体何があったのだろう? 普段の泰然とした様子の面影が微塵もない今の先輩に、みんなが興味津々の目を向ける。

「センパイ。一体何が…………いや、何でもありませんでしたわ」

 問いかけた聡に向けた細められた眼は、紛うことなき人斬りの眼だった。

 何があったのかは気になるが、さすがに自分の命が惜しいので、ここは自重を選択することが正解だろう。

「それでは! ユーヤの点数発表いっくよ〜! 現国98点! 数V100点! 構文100点! 地理95点! 物理100点! 合計493!! ちっとも手加減する気なし。やっぱりドSだね〜ユーヤは」

「まあ、こんなものだろう」

 予想通りの点数だったのだろう、調子の戻った悠夜先輩は、いつもの冷静な表情を崩さない。葵先輩の発言は……どうやら完全に意識下から追い出しているみたいだった。

「さすがにこの二人は別格やな」

 聡の言うとおり、ケタ違いにも程がある。

 さすがに全国模試のランキング上位常連の実力は並大抵ではない。

「でもさすがはユーヤだね。彼女として鼻が高いよ、ボクも。それで、次は誰かな〜。みあっちいっとく?」

「……はい」

 返事をするまで数秒の間が空く。

 全国クラス二人の後とあっては、さすがの鳥井も緊張しているようだった。

「さて、折り返しに入ってまいりましたこの戦。次なるチャレンジャーは…………チャレンジャー? ん? 何か違うか? まあ、いっか。次なるチャレンジャーは絶対零度で氷の女王の鳥井深愛選手です! いったいどんなパフォーマンスを見せてくれるのか!」

「………」

 無言で成績表を渡す。

 そのこめかみが少しピクリとしたのは、見なかったことにしておこう。

「現代世界三大美女が一人! みあっちの点数発表〜! 現国97点! 数U85点! リーダー93点! 日本史89点! 化学83点! 合計447!! あとちょっとのところで平均90点に届かなかったが大健闘だ〜! 今まで出た点数が点数なので何とも言えないですが、これをどう見ますか。解説の神谷さん?」

「そうですね〜。今回ばっかりは相手が悪かった、の一言に尽きるんちゃうかと思いますね〜、ワイは」

「やはり神谷さんもそうお考えで? 実はボクもなんですよね〜」

「ところで司会の宮代さん。現代世界三大美女ってのは誰のことで?」

「決まってるじゃない。ボクとみあっちとみっきー」

「そりゃ妥当すぎて聞くまでもないことでしたな」

 妥当じゃないだろ……。思いっきり身内じゃないですか。

 それにしても、さすがに美咲と悠夜先輩には届かないものの、鳥井もやはり高得点をとってきた。このままじゃ本当に悪夢が現実になりそうな気がしてきた。

「次はボクの番だね。それじゃ、続いて世紀のボクっ娘宮代葵の点数発表〜! 古文91点! 数C95点! リーダー90点! 世界史89点! 生物94点! 合計459!! 危ない危ない。もうちょっとで暫定最下位になるところだったよ」

 言葉とは裏腹に、余り危機感を持っていない。

 自分が最下位になることはあり得ないと思っているからだろう。その証拠に先輩のいつものクセが出ていない。

「次はワイやな。白河、勝負や! 負けたら+昼飯一回オゴリやからな」

「分かってるよ。絶対オゴらせてやる」

「それじゃ、まずはさとっちゃんの方からいってみよ〜! 古文90点! 数B100点! 構文92点! 世界史90点! 生物85点! 合計457!! これはひょっとしてひょっとすると勝負あったか〜!?

「まあまあやな」

 勝ち誇った笑みを浮かべる聡。確かに俺がこの点数を超えるのは厳しいかもしれない。けど、やってやれないことはない。

「続いてしーたんいっくよ〜! 現国95点! 数U80点! リーダー82点! 日本史100点! 生物84点! 合計は……441!! 残念! 最下位はしーたんに決定だ〜!! ごちそうさま〜♪」

「ワイの勝ちやな」

「……そうだな」

 普段よりは高得点だったが、届かなかった。

 結局、一番確率の高かった俺のオゴリという結果に落ち着いてしまった……。

「ゴメンね、お兄ちゃん。ごちそうさま♪」

「負けたんだし、潔くオゴってやるさ」

 テーブルの上に財布を置き、カードだけ持って椅子から立ち上がる。

「何処へ行く?」

「若干3名は手加減する気がまるでなさそうですから、口座から引き出してきます」

「そうか。確かにな」

 答える悠夜先輩は微かに苦笑した。

 

 俺が帰ってくると、そこは地獄だった。

 テーブルの上狭しとケーキやシュークリーム、パフェにドリンク類が置かれていた。

(ヘンゼルとグレーテルの世界じゃないんだぞここは。もちろん『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』と宣ったフランス王妃が暮らす宮殿でもない)

 という感想がコンマ1秒で浮かぶほど混沌としていた。

 そんな中で嬉しそうにケーキを頬張る3人の姿があまりに自然すぎて、呆れ顔の二人がいっそ滑稽に見えたのだから本当に笑えない。

「すまん、白河。いきなりメニューの端から端までくださいと言われては、とてもじゃないが為す術がなかった」

「ごめんなさい。わたしも驚いて止められなかったわ……」

 本当に申し訳なさそうな二人には、それだけで感謝の言葉もない。

「あ。お兄ちゃん、お帰り」

 リスのように両頬を膨らませた美咲が、とろけきった表情でモフモフしている。すごく和む可愛さである…………じゃない!

 他の二人は気づきもしないで食べ続けている。

 もう怒る気も起きない……。

「この際だから、二人とも好きなだけ頼んでくれていいから」

「わたしはいいわ。見てるだけで胸やけしそう……」

 そう言って、アイスコーヒーのストローを口に含む。

「嬉しい申し出だが、俺も遠慮しておこう。さすがにあんなものを見せられるとな」

 悠夜先輩もストレートティーを楽しんでいる。

 ほんと、二人には感謝の言葉もない。

 

 結局、その日の出費は5万円を超すほどだった。

 店員さんが一回で溜まったポイントカードを見ながら同情的な笑顔を浮かべていたのが妙に印象に残ったのだった。

 

 

「くそっ……!」

 油断していた。

 まさか鳥井との待ち合わせ場所である公園に着く前に使徒に見つかるなんて……!

 左右を民家に挟まれた一本道の前方と後方に三体ずつ。見回してみても、周囲に武器の代わりになりそうな物はない。当然の如く逃げ道なんてあるはずがない。

 街灯がジジジジ……と耳触りな音を立てる。焦れ始めているのか、それとも、しん……とした夜のせいか、不快な緊張感を呼び覚ますその音は次第に大きくなっていく気さえする。

 焦ってみても事態が好転することはなく、ただ時間だけがジリジリと過ぎ、それに比例にして使徒がズルズルと近づいてくる。

 

 やるしかないのか……

 

 覚悟を決めて、公園へと続く道を防ぐ使徒へと駆け出す。

 そのまま、走る速度も右の拳に乗せて渾身の力で殴りかかる。

「……え?」

 確かに右拳が当たったはずなのに、手ごたえが全くない。以前箒で攻撃したときは確かに感触があったのに……。

どうなってるんだ?

 そんな思考は目の前の使徒が振り上げた右腕に中断を余儀なくされた。

転がるようにその場から逃れ、使徒から距離を取る。

「はあっ……! はあっ……!」

 極度の緊張と事態の深刻さとで、ただ立っているだけなのに消耗を免れない。

攻撃はできない。かといって逃げることも難しい。このままじゃジリ貧だ……!

 

「珍しい。貴重なサンプルですね」

 

 闇の中から唐突に響いた第三者の声。

 場違いとはこういうことを言うのだろう。

 緊張感のまるで無い、柔和な男性の声。普段なら聞く者に安心感をもたらすであろうその声は、場合によってはどんな呪詛や怨嗟の声よりも怖気をもたらせると、このとき初めて知った。

「しかし……。まずは木偶を処分してしまいしょう」

 その声は公園とは反対の方向から聞こえてくる。

「そこの少年。死にたくなければ伏せていなさい」

 言うが早いか、声の主から濃密な、それでいて針のように細く鋭く突き刺さる殺気が溢れ出す。

 鳥井が見せた殺気も凄絶だったが、この男が有する殺気は鳥井のそれよりもまだ上だ。本能的な――もしくは根源的と言い換えてもいいかもしれない恐怖を湧き立たせる。

 背筋をうすら寒いモノが這い上がってくる。

 立っていることはもはや出来ず、俺はその場に崩れ落ちた。

「啜ってあげましょう。悪夢の一滴まで」

 その言葉を最後に、俺は自分の意識を手放した。

 

 

 気を失っていたのは数分か、数十分か、もしかするとたった数秒の出来事だったのかもしれない。

 いずれにしても、俺が意識を失っている間に全て終わっていたことに違いはなかった。

「さて。話を聞かせてもらいましょうか」

 頭上から聞こえてくる声に、のろのろとした動作で応える。

 目の前にはかっちりと着込んだ黒のスーツの上に白衣を羽織った男性がいた。それも確かに目を引く格好だが、彼の笑顔の前ではそんなことは些細なことだった。そう。まるで能面をそのまま貼り付けたかのようなのっぺりとした無表情な笑顔の前では。

 ぞぞぞぞ……と、怖気が全身に走る。

「ふむ。僕の殺気にあてられましたか」

 腰を落として俺の腕を自分の首の後ろに回し、俺を立ち上がらせる。

「…………だいじょうぶ、です。自分で立てます……から」

 震える足を抑えつけ、どうにかそれだけ口にする。

 少しでもこの人の近くから離れたかった。

「……ほう。僕の殺気からこれほど早く立ち直るとは」

 彼の言葉が的外れなのは、自分だけは理解していた。

 夜闇の中から走ってくる彼女にカッコ悪い姿を見せたくないという、ただのやせ我慢だ。

「白河くん!」

 俺の目前まで走ってきて、ようやくその足を止めた。

 忙しく上下する両肩と紅潮した頬が、鳥井がどれだけ真剣に気にかけてくれたかを示していた。

「問題はないよ。僕が一掃しておいたから」

「……え? 神林、さん?」

 鳥井の声は心底意外そうだった。

「そうですね。それでは一応自己紹介しておきましょう。僕は神林聖二。そこにいる鳥井くんの上司みたいなものだと思ってくれればいいです。それで、君は?」

 問いかける声には、隠しきれない殺気があった。

「違うんです神林さん! 彼は――――!」

 その意味を理解した鳥井が、俺を庇おうとする。

「君には訊いていないよ」

が、ノールックのまま放った一言だけで鳥井を黙らせ、さらに殺気が膨れ上がる。

 のっぺりとした無表情な笑顔を貌に貼り付けているが、その目元だけは無感情だった。

 返答次第では……、という雰囲気が如実に感じ取れる。

 

 沈黙を世界が嫌ったかのように、木々をざわめかせて一陣の風が吹き抜けていく。

 俺は意を決して口を開いた。

「俺は、白河彰です。それ以外の何者でもありません」

 たったそれだけを口にしただけで、精神がごっそり削がれたような錯覚に陥る。

 けど、神林の目から視線を逸らすわけにはいかなかった。残り少ない気力を総動員して見上げ続ける。

「………………とはよく言ったものです」

「――え?」

「神林さん?」

 俺たちに聞こえないほど小さな声で何かをつぶやいて、のっぺりとした笑顔を消す。

「君が敵でないことは最初から分かっていました。ただ覚悟が見たかったのです」

「覚悟?」

「そうです。一般人の身で今後もこの件に関わり続けるのに相応しいか否か、といったところですよ」

 白衣を翻して歩きだす。

 俺たちはお互いの顔を見合せていたが、どちらからともなくその後に続いた。

 

 ………………………………

 ………………………………………………

 …………………――――――――――――――

 ――――――――――

 

 そして、『誰』もいなくなった。

 

 

「改めて自己紹介しておきましょう。僕は神林聖二。鳥井くんの直接の上司にあたる者です。以後、よろしくお願いします」

 午後23時。俺たちはマックナルド――通称マック――にいた。

 あの後、乗用車に乗せられて連れてこられたのがここだった。

 時刻が時刻なので、店内には俺たち以外の客の姿は僅かしかなく、カウンター内にいる店員もヒマそうにしている。

「まあ、今はとにかく、君のことを聞かせてほしいのですよ。僕は」

「どうしてファンタズマゴリア内で動けるのか? っていうことなら、それは俺にも分かりません。鳥井のように夢想具を持っているわけでもありませんし」

「ああ、いや。そういったことではないんですよ。ただいくつか質問に答えていただければそれでいいんです」

「はあ……」

 はっきり言って拍子抜けしたと言わざるを得なかった。

 鳥井なんかは未だにおかしいと言っているのに、その上司はそんなことは必要ないと言う。もしかすると、何か知っているのだろうか?

「白河くんの生年月日と家族構成。あとは覚えてる範囲でいいので、病歴なんかを教えてくれますか?」

「……それに意味があるんですか?」

 俺は当然訝しんだ。鳥井も同様のようで、不審と困惑をない交ぜたような表情だ。

「……そうですね。腹の探り合いに不毛な時間を費やすのは無益にしかなりませんから、正直に言いましょう。僕がここに来た理由は鳥井くんのサポートの他にもう一つあります。それは、ある人物を探すこと。それが君たちくらいの年齢のはずなのですよ。だから、君にも一応訊いておこうと思いましてね。あ、もちろん言いたくなければ言わなくてもいいですよ」

 まあ、見つかる可能性は限りなく低いけれど、と神林さんは笑う。

 不信感が完全に拭えたわけではなかったが、俺は素直に訊かれたことに答えた。

「ありがとう。参考になりました」

 俺の言ったことを手帳に書き込み、それをスーツの内ポケットにしまう。それから、今まで手つかずだったアイスコーヒーに手を伸ばした。

 水滴の滴るそれは、暖かく設定された店内の温度を如実に表していた。





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