chapter-3

『もうすぐ最終下校時刻です。まだ校舎に残っている生徒は、速やかに下校してください。繰り返します――――』

「遅かったな」

 鳥井が屋上に姿を現したのは、最終下校時刻五分前だった。

 如月の日没は、冬至を過ぎたといってもまだまだ早い。空はパレットの上で水彩絵の具を混ぜたように、オレンジとダークブルーが互いの領土をせめぎ合っていた。

「ごめんなさい。この話は誰にも聞かれるわけにはいかなかったから」

 屋上には人なんて来ないのに、それでも校内から人がいなくなる時間まで待つということは、鳥井にとってそれほど重要な意味を持つ話だということ。言外に含まれたそのことの意味を俺は理解し、同時に警戒レベルを一つ上げる。

 なにせ相手は一度俺の命を狙ったやつだ。俺の出方次第ではこんどこそ確実に息の根を止めにくるだろうことは、想像に難くない。

「最初に言っておくけれど、何もかも包み隠さずに話すことはできないわ。そして、これから話すことは当然他言無用よ」

 鳥井の念押しに、無言のまま首を縦に振る。

「まずはあなたを殺そうとした理由から話すわね。わたしがあなたを殺そうとした理由はただ一つ。あなたが『夢幻世界(ファンタズマゴリア)』の内にいたからよ」

「それ、説明になってると思ってるのか?」

 殺そうとした理由が『夢幻世界』とかいうモノの内にいたからだって?

 あまりに想像外の出だしに、俺はつい言葉を発したが

「黙って聞いて。疑問があれば後でまとめて聞くから」

 と言われれば、流石に口を閉じるしかない。

「『夢幻世界』というのは、人間がナイトメアウィルスに感染したときに見られる症状で、人間の夢が現実世界――この場合はわたしたちが普通に暮らしている世界のことね――を侵食してできた、云わば他者の侵入を拒む結界のようなもの。この『夢幻世界』の内に存在できるのは、感染者本人以外には、感染者が創りだす使徒。そしてあと一種類、わたしたちのように『夢想具』を持つ人間のみ。

あなたはあの中で自分の意思を持って行動していた。使徒はプログラムされた命令のみを遂行する機械のようなものだし、感染者本人にしても、自分の意思で動いているわけじゃない。そして、わたしはあなたの顔と名前をここに転入してくるまで知らなかった。なら導き出される解は一つしかない。あなたはわたしたちと敵対関係である可能性が高いと見るのは、さして飛躍でもないでしょう? これが、わたしがあなたを殺そうとした理由」

 鳥井はそこで一度口を閉じた。

 

「………」

 確かに、鳥井の語ったこと全てを事実だと仮定するならば、納得はできないが鳥井が俺を殺そうとした理由は理解できる。

 しかし、まだまだ分からないことはある。鳥井が『夢幻世界』と呼んでいる世界のことや、それの原因らしいナイトメアウィルスと呼ばれるもののことだ。

「ここまでで何か質問はあるかしら?」

 俺の思考を読んだかのようなタイミングで再び口を開く鳥井。

 当然あるに決まってる。けれど、鳥井は疑問を持たれるのを承知で話さなかったような気がしてならない。踏み込めば戻れなくなるぞ、という感じだ。

 けれどこのまま、何も分からないままうやむやにしていい問題なわけがないと俺は思う。

 訊くべきか、否か。

 

 空は一日という歌劇(オペラ)の終幕を示すべく緞帳を下ろし、すでに舞台は区切られた。

 表は裏に。裏は表に。

 それなら、俺は……。

「――――いや、ない。要するに俺が敵でなければ問題ないんだろ?」

 訊かないことにした。

 命が狙われた理由が分かったんだ。それ以上望むべくもない。

「そうね。あなたが敵でないのなら」

「俺は俺が、鳥井の言う敵じゃないことを知ってる。なら、それでいい」

 ……結局、俺は踏み込む覚悟を持てなかった。

 

                    †

 

 タァン!

 

話を終えた俺が弓道場の近くを通ると、最終下校時刻を一時間以上前に過ぎているにも関わらず、的を射抜く音が響いた。

誰かが居残り練習でも行っているらしい。

「青春だな」

 一人必死に弓弦を引き絞る姿を想像し、そんな感想を漏らす。

 しかし、こぼれ出たつぶやきに含まれていたのは、もうとっくの昔に振りきったはずの未練だった。

 もし両親が亡くなっていなければ、俺も部活動という青春を謳歌していたかもしれないのに……。

 その言葉は声にはならず、けれど鉛のように心に沈む。

 

 タァン!

 

「ま、いまさら関係ないことか」

 と、頭を振って、その場を離れようとしたときである。

 ビュッ、と音をたてて、目の前を何かが通り過ぎた。

「ま、まさかな……」

 嫌な予感とともに通り過ぎた方を見ると、そこに落ちているのは矢だった。

「アブねぇ。あと10センチズレてたら死んでたぞ……」

「天罰じゃないの? お兄ちゃん」

 俺の独り言に答えたのは、弓道着に身を包んだ美咲だった。左手にはご丁寧に弓まで携えている。どうやら居残り練習をしていたのは、我が妹君だったらしい。

「お兄ちゃん、遅すぎだよ。靴は下駄箱にあるのに教室にはいないし、一体どこに行ってたの?」

 歩きながら話しかけてくる美咲。

 訂正。俺のせいで仕方無く居残り練習していたらしい。

「今の、お前か?」

 落ちている矢を指さして問う俺に、

「うん」

 と、悪びれる風もなく美咲が頷く。

 どうやらご機嫌斜めらしい。

「どれだけ探してもいなかったのに、ふと外を見たら普通にいるんだもん。射るな、ってほうが無理でしょ」

 いや、射るなよ……。どう考えたってその論理はおかしいだろ。

 当てるつもりはなかったけど、と付け加え、俺の前を通り過ぎて、矢を拾うために屈む。左手を伸ばそうとしたが、何かを思い出したように手を引っ込め、右手で拾った。

「よい子のみんなはマネしちゃダメだからね」

 あらぬ方向に注意を呼びかけ、こっちに戻ってくる。

「さて。それじゃ買い物に付き合ってよね。お兄ちゃん」

 俺に向けて矢を射たことなんか忘れたように、にこにこと話しかけてくる。

「その前に言うことがあるんじゃないか?」

「そうだった。忘れるところだったよ♪ わたしに内緒で何かしてたみたいだから、今日はお兄ちゃんのオゴリね」

「違うだろ! 先に謝れよ」

 ごめんなさいを予想してた俺は、美咲の的外れな返答に大声でツッコミを放つ。

「それもそっか。一応謝っておくね。ゴメンね、お兄ちゃん」 

 一応なんだな……。

 けれど、美咲なりの冗談だと理解している俺は、口で言うほど気にしてはいなかった。

「でも、ちゃんとオゴってね♪」

 ……あ。そっちはマジだったんだ。

 美咲に悟られないように財布の残額を確認する俺なのであった。

 

                    †

 

「………」

 わたしが思い出したのは、単なる偶然がキッカケだった。

屋上から見えた兄妹と思しき二人のじゃれ合い。それが、今はもう会うことの叶わない妹を思い出させた。

「――――望愛」

 どうしてこの世界にはわたし一人しかいなくなってしまったのだろう。

 それは分かりきっていることだった。――――何もかも。

 

 そう。何もかもナイトメアウィルスのせい。

 

 アレが、わたしたち家族の人生を狂わせた。

「……望愛。どうして、こんなことになってしまったのかしらね?」

 自嘲気味に薄く笑った。

 その笑顔は、もし誰かが見ていたら滑稽だと笑われるような顔だと思う。

 涙が零れそうになる。それを夜空に顔を向けることで何とか耐えた。

 しっかりしなさいと、自分を叱りつける。あのときに決めたんだから。もう笑いあうことも、夢を語り合うこともできなくなった妹に。

 望愛が生きていれば、わたしを止めるだろう。「そんな危ないことは止めてよ。お姉ちゃん」と。そもそも、そんな行動を起こさずにすんだのかもしれない。

 けれど、望愛はもういない。

 

「ごめんなさい」

 夜空に向かって落ちていく言葉は悔恨か、懺悔か。それとも別の何かなのか。今のわたしにはそれすらも分からなかった。ただ、言わなければいけないような気がしたから。

 

 わたしは復讐者。復讐のために自ら堕ちた“ヒトデナシ”。

 だから、人並み(コウフク)に生きることは赦されない。

「咎には罰を。赦されざる者達には裁きを」

 それだけを信じて。

「それが最果ての悪夢への道標とならん」





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