chapter-2

「初めまして。鳥井深愛(トリイ ミア)です」

 転校生である鳥井深愛の自己紹介は簡潔なものだった。初めて見る顔ぶれに緊張するでもなく、終始淡々としていた。おそらく転校をしてきた回数が一桁ではきかないのだろう。転校後の挨拶には慣れていて当然といった様子だった。

 

それにしても……

 

 確かに、職員室に見に行った男子のほぼ全員が超極上と評するだけのことはある。身長は平均的だが、色素の薄い、雪のような肌。千の夜で紡がれたかのような、腰まで届く漆黒の髪。少しつり上がった、強い意志を秘めた瞳。それに、普通の生活では無縁に等しい神秘的な雰囲気。アイドルだ、と言われれば何の疑問も持たず信じてしまうだろう。それほどまでに完成された容姿だった。

「これからよろしくお願いします」

 

 彼女の雰囲気に呑まれたのか、クラス中が静まり返っている。お約束の質問タイムすら始まらない。いや、始めることができないと言ったほうが正しいだろう。あの無遠慮のカタマリの聡ですら「ウソやろ……」と呟くことしかできずにいた。

 教卓の横に立つ鳥井さんも、動かない状況にウンザリしているように見える。なのに、雪ちゃんはいつも通りニコニコしているだけで、何も進めようとしない。ホント、お気楽極楽を地で行く人である。これで東大卒、しかも在籍していた4年間通して主席だったっていうんだから、世間は間違っているとしか思えない。まあ、なんだかんだで授業は解りやすいし、生徒間での人気も高い。ほとんどの生徒は川原紗雪(カワハラ サユキ)の紗雪をもじって、《さゆっち》や《雪ちゃん》と呼んでるくらいだし。

 

「あの、先生。わたしはどうすればいいですか?」

 五分ほども教室中が固まったままだったろうか。

その沈黙に耐えられなくなったのか、鳥井さんが口を開く。

「そうねえ。みんな〜、何も質問はないの〜?」

 特徴的な間延びした声が、静まりかえる教室にいつもの喧騒を思い出させる役目を果たしたのか、少しずつ空気が緩んでいく。ざわざわと、音が戻ってくる。

 

「でも、時間もないことだし、質問コーナーは私の授業までのお楽しみということで〜。とりあえず鳥井さんの席は、っと……白河くんの隣が空いてるわね〜。白河くん〜」

「はい?」

 ヤな予感しかしない雪ちゃんが俺を呼ぶ声。これで席が隣なだけなら御の字

「白河くんは、休み時間や放課後に鳥井さんに校内を案内する校内案内係に任命しますから〜、責任を持ってお願いしますね〜」

 ……だったんだけど、そうは問屋が卸さないらしい。

 雪ちゃんは俺に大役を押しつけて下さった。

 教室中の男子から殺気のこもった視線が注がれる。「なんで白河ばっかり」とか「美咲ちゃんと言うものがありながら!」とか「一人くらい譲れよな!」とか。

いや、美咲は譲らないけど案内役のほうは喜んで譲りたいんだが。

 

「先生。白河くんとは、どの生徒ですか? わたしには分からないのですが」

 そんな教室の空気を意に介さない鳥井が、雪ちゃんに話しかけている。

さっきの俺と雪ちゃんのやり取りもまったく気にしていなかったらしい。返事したのに場所が分からないとか言ってるし。

「白河くんはね、窓際の一番後ろの子よ〜。白河くん、手を挙げてくれる〜?」

 言われたとおりに手を挙げる俺。

 そのとき初めて、鳥井さんが俺に視線を合わせた。

 

 ドクン!

 

 その瞬間、俺の心臓はリズムを乱した。

 転入生の鳥井深愛。転入生ならこれが初対面のはず。だけど、俺は知っている。鳥井深愛を知っている。

そんなこと当たり前だ。むしろ今まで気付かなかったほうがどうかしている。俺を殺そうとした張本人が目の前で自己紹介をしていることに。

まさか、俺を殺すためにここにきたのか? いや、まさか。でも?

思考が物凄い勢いで空回りする。

これは悪い夢だ。そう思いたかった。しかし、無意識にきつく握った左手の痛みがそれを許さない。

 なら、いっそのこと……

「すいません! 俺、職員室に呼ばれてたのを忘れてました。今から行ってきます!」

 一息でそれだけ言うと、俺は教室から逃げだした。

 

           

 

 あの日から一週間が経過した今日も、俺は夕陽がオレンジ色に染め上げた屋上にいた。

 

 あの日、教室から逃げだした俺は、人のいない屋上に行くしかなかったのだ。この黎明館学院は基本的に屋上へ出ることは禁止されているし、そもそも鍵がかけられていて一般生徒には出入り不可能となっている。しかし、ちょっとした偶然から非常階段の欠陥を知った俺は、そこから屋上に上がれることに気がついた。以来、屋上は俺だけの休憩スポットと化しているのだ。なので、授業の合間の休憩時間や、放課後しばらくはここにいることが日課になっていた。

 人と一緒にいるほうが殺される確率は低くなるのではないかとも思ったが、万が一のことがあってはならないので、それは却下することにした。もし殺されるとしても、俺のせいで他の誰かを、とりわけ美咲を巻き込むわけにはいかないからな。

 

「は〜っ……」

 大きなため息をつく。ここに来てから既に10回はついただろうか。

 俺を殺そうとしたヤツが転入生として入ってきたのだ。ため息もつきたくなるというものである。今日までは教室内であの大鎌を振り回してはいないけど、そんなことは気休めにもならない。いつ本性をむき出しにするか分からないのだ。

 自分でも問題を先送りにしているだけだというのは分かってるけど、事が事だけに踏ん切りがつかない。ヘタを打てば殺されるのだから、二の足を踏むのも当然だと言いたい。

「謝る、っていうのも違うしな」

「そうね。謝るのはわたしのほうだものね」

「な?!

 独り言に返事を返されたことに驚いた俺は、声がしたほうへ目を向けた。

 果たして、そこに立っていたのは俺の悩みの種である鳥井深愛その人だった。

 俺がいる給水タンクのある場所は屋上全体よりも人一人分くらい高い。その壁際に鳥井は立っていた。だが、二人きりだというのに以前対峙したときの烈火の様な怒りと殺気がない。その辺にいる女子学生と変わらないようにすら見えた。

「上ってもいいかしら?」

「……ああ」

 それでも油断はできない。油断させてから殺すなんて展開は推理小説でもよく見かける。完全に安全だと言い切れるまでは、一秒たりとも気なんて抜けるわけがない。

 それでも俺は給水タンクに背中を預け、南を向いた。鳥井は反対側に回り込んで、音から察するに給水タンクのパイプに腰かけたらしい。

「で? さっき謝るのはわたしのほうだ、って言ったよな」

 小さく一呼吸した後、俺は本題を切り出した。こういうときに遠まわしなことをするのは性に合わない。

「ええ、確かに言ったわ」

「どういうことだよ? 今さら謝るなんて。この一週間そんな素振りは見せなかったじゃないか。人を殺そうとしておいて何を!!

 口を衝いて出たのは怒りだった。当然だろう。殴られたり中傷されたりするのとはわけが違う。人の命を奪おうとしておいて、こいつは今さら何を言っているのだろうか。

 ギリッ、と奥歯が鳴る。

 知らず握りしめていた掌に爪が食い込む。

「色々言うこと聞きたいことはあるけれど、まずは謝らせて。ごめんなさい」

「だから!! 今さら!!

 声はますます大きくなり、内に渦巻く怒りの炎も勢いを増す。

 

 ダン!!

 

 激情に任せて右手を給水タンクに叩きつける。

「分かってる。謝っても許されないことは分かってる。それでも、ごめんなさい」

 それでも変わらない静かなままの声音で、彼女は赦しを請う言葉を紡ぐ。

「………」

「……ごめんなさい」

 深く、彼女が頭(こうべ)を垂れた気がした。

 

 俺は人間としてどこか欠落してるのかもしれないと半ば以上本気で思った。ついさっき、一人で考え込んでいたときはあれほど悩んでいたというのに。今もあれほど激情に駆られていたというのに、鳥井の赦しを請う言葉を聞くうちに、証拠もないまま信用しようとしているんだから。

 けれど、確信めいたものが俺の心の中にあった。それが、俺に鳥井の言葉を受け入れさせたのだと思う。

 

「一つだけ聞かせてくれ。俺は、もう殺されないですむのか?」

 

 見渡す世界の中、一番高いところで踊る風はときにぶつかりあいながら、ときに寄り添いあいながら流れていく。

「正直に言うと分からないわ」

 それに乗る無常に告げられた硝子なような声。けれど、それはなぜか俺を不安にはしなかった。

「どうしてわたしがあなたの命を狙ったのか。それが知りたければ、明日、もう一度ここへ来てくれないかしら? もし知りたくなければ、来なくていいから」

 そんな一言を残して、彼女は非常階段に向かって歩いて行った。





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